人として生まれてきたからには、「人でなし」と呼ばれるよりも、「人格者」と評されるほうが、他人から忌み嫌われることもなく、安泰な人生を送ることができそうですね。
「でも、人格者って、すごく抽象的な言葉だよ。具体的にどんな人が人格者に値するのか、物差しみたいなものはないの?」
とおっしゃるあなた。
呂新吾著「呻吟語」に、「完成された人格」の定義が以下のように述べられています。
ゆったりと構えているが、機敏な対応をする
あわただしいときでも、冷静さを失わない
大ざっぱでありながら、手を抜かない
平静ではあるが、よそよそしくない
率直ではあるが、粗野に流れない
温かみを感じさせるが、卑屈ではない
明るい性格だが、浮わついたところがない
落ち着き払っているが、暗さがない
毅然としているが、きびしすぎない
行きとどいているが、細かいところにまで目くじらを立てない
機転がきいているが、悪どい駆け引きは使わない
読みは深いが、ことさらに意地の悪い見方をしない
以上から考えると、人格者とは、多くの点で二面性を持っているが、どちらにも偏っていないということになるでしょう。
「呻吟語」には、全編にわたって「中庸」という言葉が散りばめられています。
意味は、「偏ることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること」です。
「中庸」は人格者になるために、ひいては人生をより良く生きるための重要な性質と言ってもいいでしょう。
片方に偏らずに、バランス感覚を持っていることが大切ということですね。