「私と同じ部署の人は、揃いも揃って、レベルが低い。簡単な作業に時間がかかり、その上ケアレスミスが多い。あまり角が立たないように再三注意しているけど、改善しない。もっときつくたしなめたほうがいいのかな?」
と、不満をためているあなた。あなたこそ、自分自身を見直す必要があるかもしれません。
サマセット・モーム著「モーム語録」で、次のように述べられています。
唯一分別のある態度は、人間の良い部分は受け入れ、悪い部分は大目に見てやるということである。
「人の悪い部分を多めに見る」という姿勢の大切さについて、内田樹・木村政雄著「内田さんに聞いたみた正しいオヤジになる方法」で、もう一歩踏み込んで述べられています。
自分の中にある汚さや弱さを許せない人というのは、必ず他人に対しても非寛容になる。
神経症的にきれい好きの人が、ゴミをその辺にまき散らすやつに対して非寛容になるように、自分は清潔で、強くて、高潔で、上品だと思っているような人は、弱い人間に対して冷たい。
自分はピュアであると思っていて、その純粋さや清潔さを基準にして他人を見て、査定しようとする人間は、社会的にどれほど地位があっても、年を食っていても、幼児だと思います。
そういう人間は社会集団がきちんとバインドされて、相互扶助、相互支援的なかたちをとるためには、邪魔にしかなりませんから。むしろ、社会を解体させる方向に棹をさす、かなり危険な存在だと思います。
人の悪い部分を許せないという人は、その人自身、集団からつまはじきにされる恐れがあるのです。
さらに、サマセット・モーム著「モーム語録」では、人との距離の取り方が、シンプルでありながら、深い言葉で述べられています。
自分のことと同じくらい他人のことがわからない限り、他人の行動を指図することなんて、できっこない。
人には多くを期待しないほうがよいのだ。他人が自分を親切に遇してくれたら感謝し、逆に冷遇されても平然としているのがよい。
以上のような態度でいることで、「分別があり、余裕のある人」と、周囲から認められ、周りの人の強力が得やすくなり、大きな仕事を任せられても、やり遂げられる人になるでしょう。
是非、あなたの心の片隅に留めておいて下さい。