「ワガママな妻、マウントをとってくる上司、自分が面倒くさいと思う仕事を押し付けてくる同僚。何とか我慢しているけど、自分ばかり辛抱するなんて、世の中不公平だ」
と嘆いているあなた。
それでいいんです。 夫婦関係の例で言えば、森信三著「一語千鈞」に、次のような名言があります。
夫婦のうち人間としてエライほうが、相手を言葉によって直そうとしないで、相手の不完全さをそのまま黙って背負ってゆく。
夫婦関係というものは、結局どちらかが、こうした心の態度を確立するほかない。
この森先生の言葉は、夫婦に限らず、すべての人間関係の本質を言い当てています。
「またこいつ、自分の我を押し通そうとしてるわ。しょうがねえな」と、受け入れる。
あなたが辛抱しているからこそ、家庭や職場がうまく回っているのです。
「忍耐」という言葉は一見地味ですが、人間の性質の中で最高の美点であることは、忍耐に関する名言が星のように存在することから明らかです。一例を挙げます。
・大偉業を成し遂げさせるものは体力ではなく、忍耐力である(サミュエル・ジョンソン)
・忍耐は苦い。しかし、その実は甘い(野口英世)
・不満は忍耐力の欠如であり、意志の衰弱である(ラルフ・ワルド・エマーソン)
そして、忍耐力のおかげで大成功を治めた典型的な例が、徳川家康です。
幼少の頃は織田家や今川家に人質に出されて苦労し、若い頃は一向一揆に加担した半数の家臣の反乱を受け(驚くことに、反乱を鎮めた後、家臣を許すどころか、首謀者の本田正信を側近に抜擢しています)、武田信玄との戦で大敗して打ち取られかけたり、同盟を結んでいた織田信長からは、敵の武田信玄と通じていると疑われた妻と長男を殺すように命じられて、言う通りにしました。
さらに本能寺の変の後、豊臣秀吉と天下を争う実力を持ちながら、秀吉に覇権を譲りました。
やがて秀吉が死去し、自分より強い者がいなくなったタイミングで豊臣家を滅ぼし、ついに天下を取りました。その翌年に満73歳で生涯を閉じました。
人生50年と言われていた時代に、73歳まで待ち続けたのです。家康の一生は、「忍耐の一生」と言っても過言ではないでしょう。
なお、家康は耐えに耐える人生を送る裏で、滅亡した武田家の、当時最強と言われていた兵士を大勢召し抱えて軍備を増強しています。
また秀吉に強制的に移封させられた、当時湿地帯だらけで税収が望めない江戸で開墾を行って田を増やし、一転して経済力を増強したりするなど、コツコツと実力を高めていました。
忍耐に関する名言や、家康のエピソードは、私のような気が弱く、人間関係で我慢の一手しか能がない人間にとって、救いとなっています。
職場で押しの強い相手に、「それは違うよ」と言い返すことができなくても、「そんなあなたでいいんだよ」と、肯定してくれます。
我慢を武器にしている人は、その陰で自分の夢に近づくためのルーティンワークに日々取り組みましょう。
トンネルを抜けた後は、望み通りの人生を歩むことができるでしょう。